紹介
200年間、忠州で生活を送ったが、江陵入郷祖6世家孫の李乃蕃(1692~1781)が江陵に移り、イタチの群れと共に吉地である現在の屋敷に移住した。家の前が鏡浦湖であったため、すぐに橋を作って湖を渡り、こうして船橋荘と呼ばれるようになった。母屋を立てて生活したが、金剛山と関東八景を遊覧する朝鮮の風流と文人墨客が雲霞のように訪れるため、100年余りの間、たゆまず建物を増築し、悦話堂、星堂、中舎廊、行廊斎を建て、1816年に活来亭と池を造り、蓮の花を植えて名堂に似合う現在の船橋荘を完成させた。
最終修正日
2017-12-04